へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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はなへんろ
気がつくとblog開設一周年が過ぎていました。
もともとリアル知人との対話や、ニート問題、公務員・教師類の許せない行為をここで暴いていく目的で開設したのですが、余りにも多いわいせつ件数に加えて、攻撃的なコメントを添えていた為現職の教員などからのクレームが来たり、11月からmixiに誘ってもらったこともあって、一時放置状態になってましたが、余りにmixiに頼ると中毒になっても困るので、こちらは基本対内用、mixiは基本対外用として使うことにしています。学校での講義内容とか知人との人間関係などがこっちに載ってるのはそのためです。
秋にはお遍路第二段が控えていて、今予定を練っています。去年と同じように、ここに貴重な体験記が書けるといいな!

もともとリアル知人との対話や、ニート問題、公務員・教師類の許せない行為をここで暴いていく目的で開設したのですが、余りにも多いわいせつ件数に加えて、攻撃的なコメントを添えていた為現職の教員などからのクレームが来たり、11月からmixiに誘ってもらったこともあって、一時放置状態になってましたが、余りにmixiに頼ると中毒になっても困るので、こちらは基本対内用、mixiは基本対外用として使うことにしています。学校での講義内容とか知人との人間関係などがこっちに載ってるのはそのためです。
秋にはお遍路第二段が控えていて、今予定を練っています。去年と同じように、ここに貴重な体験記が書けるといいな!
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学校
1. はじめに
現代人は、科学技術の飛躍的な発展がもたらした恩恵に浴し、物質面では非常に充足することとなった。もちろん医療面においても技術は格段に進歩し、平均寿命の上昇や、数々の疾病の治療や予防に貢献している。その一方で、個を重視する都市的生活様式の浸透に伴い、従来から社会生活に対する規範を提供してきた共同体が崩壊し、それどころか社会の最小単位である家族の存在までもが危ぶまれる状態にあるのも現代社会の現状である。
このような状況下、従来、技術や物質面だけを重視してきた現代の医療に対して、精神面を重視するスピリチュアルケアが注目を浴びるようになってきた。以下その宗教的歴史を振り返り、今後の展望を考察したい。
2. 釈尊の教えとビハ―ラに見るスピリチュアルケア
釈尊の時代において、病人をケアし看護することは大変重要視され、病人のために施設も作られた。また釈尊は、遊行しながら修行者相互の看病を促し、自らも看病した上、他人本位の看病や、看病によって生じる功徳を「阿含教」において説いた。これは、病人を積極的にケアすることが仏教徒の務めであるとともに、病苦からの解脱に至る道筋を教えているのである。つまり僧にとって、病人とその苦しみを分かち合う関係性、すなわちスピリチュアルな場面を病人と共有することこそ、重要な自利利他の修行であるとする。このような教えが元となって、仏教では病人看護とその死を看取ることが僧の重要な修行の一部となり、寺院内には看病のためのビハーラが設けられた。
この施設において行われたのは、単に医療看護だけではなく、スピリチュアルケアも実施された。またケアという行為にとどまらず仏の教えの実践も同時になされた。
このように当時のインドにおいては仏教的観点に立ったスピリチュアルケアの実践が行われていたのである。
3. 飛鳥・奈良時代の日本に見るスピリチュアルケア
インドに始まった仏教はその後中国や朝鮮半島を経て日本に伝えられた。無論経典と同様スピリチュアルケアの考え方も移入され、先ずは聖徳太子により仏教的ケアの実践が推進された。
奈良時代に入ると養老2年、興福寺内に「施薬院、悲田院」が、その後、法隆寺においても「療病院、敬田院」などが建てられ、病人が看護された。
このように、日本においては1300年前より仏教の教えに基づくケアが行われ、後世へと受け継がれていくが、江戸幕府による寺院活動の制約、明治維新による西欧文化の積極的移入と廃仏き釈運動、戦後、法律によって社会福祉活動は国が行う方針になったことなどにより、僧侶と医療の現場は別離していくことになる。
4. スピリチュアルケアの今後と展望
お大師様はその撰述書である『即身成仏義』において、「六大無礙にして常に瑜伽なり」と述べられ、地・水・火・空・風からなる五大とそれを認識する識大は、ばらばらに存在するのではなく、互いに入り混じり溶け合って存在する、と説明された。すなわち、物質と精神は、分離することなく一体として存在しているのである。このことは、患者と看病人の間にも言えるのではないか。すなわち患者と看病人は決して離れることのない関係で結ばれていなくてはならず、他人でありながら他人であってはならないのである。
共同体や家族といった昔からの社会集団がその機能を失いつつある現代社会において、その機能を補完しまた、修復していくことが急務であるが、国や行政による形だけの援助では限界がある。そこで、精神面に関して深い造詣を持つ仏教関係者によるケアの実践はますます重要視されるであると同時に、一般人へのその考え方の普及も急がれるのではなかろうか。
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一. はじめに
私達人間は、人と人との係わり合いを無くして生きてはいけない。このことは空海の時代もそれから千有余年を経た現代も変わりはない。ただ現代社会は、科学技術の発達により、物質的には格段に便利で豊かになってきている反面、人間関係は荒んでいく一方である。このような時代を反映して、行き過ぎた個人主義の考え方への警鐘として、宗教への期待が大きくクローズアップされているのも現代社会の特徴である。すなわち失われた人間の本来性の回帰を求めるが上で、宗教は重要な役割を担っており、この人間の本来性に関してはるか昔、空海はその著述においてそれを明らかにしている。
そこで本小論文では、空海の撰述著である『即身成仏義』(以下『即身義』)中の二頌八句の詩を取り上げて考察し、本設題に迫りたい。
二. ニ頌八句の詩
『即身義』は、空海が弘仁八年から弘仁十年の間に書いたとされ、空海の密教思想の研究上、その根幹をなすと考えられる重要な著作である。すなわち空海は本著作において、以下のような二頌八句の詩を挙げて、この詩の意味を解説する形で、密教の根本教義たる「即身成仏」の思想を詳らかにしようとした。
六大無礙にして常に瑜伽なり
四種曼荼各々離れず
三密加持すれば速疾に顕る
重々帝網なるを即身と名づく
法然に薩般若を具足して
心数心王刹塵に過ぎたり
各々五智無際智を具す
円鏡力の故に実覚智なり
三密加持すれば速疾に顕る
重々帝網なるを即身と名づく
法然に薩般若を具足して
心数心王刹塵に過ぎたり
各々五智無際智を具す
円鏡力の故に実覚智なり
空海は、初めの四句において「即身」の二字を、次の四句において「成仏」の二字を説明し、「即身成仏」の四字そのものの意味には直接触れていない。これは「即身」、つまり存在の意味を理解することそのものが、「成仏」の語義理解へと導くことを示している。
よって空海はここで、あらゆる存在は、①体、すなわち存在そのもの、②相、すなわち存在の姿や形、③用、すなわち存在の持つ働きや作用、という三つの側面から成り立つという、密教の世界観の基本を述べているである。
そこで、事項では、特に最初の二行の句に着目し、以下考察を進めたい。
三.空海による存在の概念に見る人間の本来性
先ず空海は最初の一行で、存在を構成する六つの要素、すなわち、地・水・火・空・風という五大と、それらを認識する識という要素は、「無礙にして常に瑜伽なり」、つまりばらばらに存在するのではなくお互い溶け合って混じり合って存在している、とした。これはつまり、物質と精神は個々別々に存在するのではなく、互いに入り混じって一体となって存在することを示している。
次の一行では、先に述べた存在を存在たらしめる相について空海は述べている。それは、「四種曼荼各々離れず」、すなわち、存在の現われ方を説明するところの四つの曼荼羅は、表現方法こそ異なるものの、それぞれ離れることはない、とする。すなわち、様々な様相を見せる存在の実相も、帰するところ一であり、決して無関係に存在しているのではない、ということである。
この説明を人間に当てはめると、人間その一人一人は、単独で存在しているのではなく、互いに入り混じって存在し、且つ決して離れることのない関係で結ばれて存在しているのである。
四.まとめ
以上見てきたように、空海によって、全ての存在は現われ方こそ違え、根本は一つであり、不離の関係で結ばれていることが明かされた。そうしてこの考え方は、三位一体のキリスト教や慈しみ・憐れみのイスラム教の概念とも相通ずる点を持つ。すなわち、異宗教といえども、その表現法が異なるだけで帰するところは一なのである。よって宗教の力により、現在の個人主義思想に代わる考え方として、「存在=関係」の考え方の浸透が大いに望まれる。
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はなへんろ
お山から帰還後、休む間もなくお寺でのお稽古に行って参りました。
今日は盛り花で、花材は、ナンテン、リンドウ、ピンクスプレー菊の3種でした。
今日、お師匠さまからは、実技より精神面を指導いただきました。
真央問う 体調のいい時は何の支障もなくお花が挿せますが、体調の悪いときは集中力にも欠けます。こんな時でも活けなければなりません。こういう場合どうすればよいでしょう。
師匠曰く お花に接することが出来ただけでも有りがたいと思いなさい。
成るほど、これは説得力があり逆境時の支えになりますね。
この後本堂へお参りに行き、どうにかして謙虚な心持ちが授かります様にお願いしてから帰りました。
アレンジの写真は帰りに寄った旅行社の受付に飾ってあったもの。なかなか上手いです。空間の生かし方、花材の選択、お花のことを分かっている人が作ったアレンジのようです。

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真央問う 体調のいい時は何の支障もなくお花が挿せますが、体調の悪いときは集中力にも欠けます。こんな時でも活けなければなりません。こういう場合どうすればよいでしょう。
師匠曰く お花に接することが出来ただけでも有りがたいと思いなさい。
成るほど、これは説得力があり逆境時の支えになりますね。
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アレンジの写真は帰りに寄った旅行社の受付に飾ってあったもの。なかなか上手いです。空間の生かし方、花材の選択、お花のことを分かっている人が作ったアレンジのようです。
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学校
怒濤の夏季集中講義が終了!
1年間の内容をわずか1日半でやっつけるもんだから、朝の9時から夕方6時まで昼休みを除いてぶっとうし、しかも①コマ2時間のありえない授業。だけど、聞く方も大変だろうけど、話す先生を尊敬してしまいます。
一人はフランス人なのに板書は英語、おまけに日本語ペラペラ。この先生からは笑いの重要性を伝授。
もう一人は住職なのに大学教員、カウンセラー、スキーの強化委員と一人で一体いくつの顔をもってるんだ、と驚いた先生からは瞑想の技術を伝授、ロールプレイングでは余命1ヶ月を宣告された患者の役割をやらされたり盛りだくさんで終わりました。
このようにキツいながらも楽しい講義に水を挿すような愚かなな女性が一科目に一人ずつ…。
一人は一番前の席に陣取り、無暗に質問しては自分の知識をひけらかす。最後には、提出を要求されたレポートに、これはやはり英語で書く方が相応しい課題ですね、と言い出す始末で…。一部にこういう女がいるからいつまでたっても、まお達が頑張っても女性の地位はあがらないんです。
もう一人は、一応名の通った作家。だからバカが一緒に教室で写真を撮ったり何をしているのやら。そのくせ、瞑想の感想を先生から聞かれたら、「最近お遍路に7回も行って(といってもたった2泊3日なんですよ!)足をいためてて足が痛くて仕方なかったです」と答える始末。どうです、こんなのが女流作家のエースみたいにもてはやされているんです。如何に今の文壇が人材不足か分かるでしょう。作家の名前を知りたければ、探して見てください。最近遍路の関する拙い紀行文をかいてますから。
1年間の内容をわずか1日半でやっつけるもんだから、朝の9時から夕方6時まで昼休みを除いてぶっとうし、しかも①コマ2時間のありえない授業。だけど、聞く方も大変だろうけど、話す先生を尊敬してしまいます。
一人はフランス人なのに板書は英語、おまけに日本語ペラペラ。この先生からは笑いの重要性を伝授。
もう一人は住職なのに大学教員、カウンセラー、スキーの強化委員と一人で一体いくつの顔をもってるんだ、と驚いた先生からは瞑想の技術を伝授、ロールプレイングでは余命1ヶ月を宣告された患者の役割をやらされたり盛りだくさんで終わりました。
このようにキツいながらも楽しい講義に水を挿すような愚かなな女性が一科目に一人ずつ…。
一人は一番前の席に陣取り、無暗に質問しては自分の知識をひけらかす。最後には、提出を要求されたレポートに、これはやはり英語で書く方が相応しい課題ですね、と言い出す始末で…。一部にこういう女がいるからいつまでたっても、まお達が頑張っても女性の地位はあがらないんです。
もう一人は、一応名の通った作家。だからバカが一緒に教室で写真を撮ったり何をしているのやら。そのくせ、瞑想の感想を先生から聞かれたら、「最近お遍路に7回も行って(といってもたった2泊3日なんですよ!)足をいためてて足が痛くて仕方なかったです」と答える始末。どうです、こんなのが女流作家のエースみたいにもてはやされているんです。如何に今の文壇が人材不足か分かるでしょう。作家の名前を知りたければ、探して見てください。最近遍路の関する拙い紀行文をかいてますから。