へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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はなへんろ
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各お教室のリフレッシュの為に体験レッスンの広告を撒きました。そしたらドカッと体験の人が来てくれて今日のお教室は大変。あっちへ飛びこっちへ飛びして、おまけに通常の生徒さんのレッスンに試験対策まで加わり、今6時を回ってようやく一息…。
後夜のレッスンをこなしたら長い1日も終わり。だけど飛び回っているときは辛いことも忘れられるからいいですね。
後夜のレッスンをこなしたら長い1日も終わり。だけど飛び回っているときは辛いことも忘れられるからいいですね。
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学校
1.はじめに
私は昨年3泊4日半の行程で初めて遍路実習を行った。その事前学習のレポートにおいて動機を問われた私は、「旅の最高峰に存在する遍路への憧れとNEET問題解決の糸口を見出すため」、と解答した。ところが実際に遍路体験を行って帰った後の最終試験においては、「遍路は旅どころか苦行以外の何ものでもなく、またNEETはおろか若者遍路の姿すら殆んど見ることなく」と解答し、事前に思い描いていた遍路と実際の遍路が大いに異なっていたことにその紙面の大部分を割いた。
この様に当初の自分の思いに対してまさに機鋒を折られた様に感じられる遍路に対して、何故再度挑戦しようとするのか。以下昨年の遍路で得た経験を踏まえ、社会的存在の1人という立場から遍路体験への想いと期待について述べたい。
2.『即身成仏義』にみる精神と他者との関係性
お大師様はその著書『即身成仏義』において、あらゆる存在は、①存在そのもの、②存在の姿や形、③存在の持つ働きや作用、という三側面から成り立つという、密教の世界観の基本を二頌八句の詩の形で述べられた。
お大師様は先ず、「六大無礙にして常に瑜伽なり」と詠われ、存在を構成する六つの要素、すなわち、地・水・火・空・風という五大と、それらを認識する識という要素は、ばらばらに存在するのではなくお互い溶け合って混じり合って存在している、とされた。これは、物質と精神は個々別々に存在するのではなく、互いに入り混じって一体となって存在することを示している。
次にお大師様は、「四種曼荼各々離れず」と詠われ、存在の現われ方を説明するところの四つの曼荼羅は、表現方法こそ異なるものの、それぞれ離れることはない、とされる。すなわち、様々な様相を見せる存在の実相も、帰するところ一であり、決して無関係に存在しているのではない、ということである。
この説明を人間に当てはめると、人間その一人一人は、単独で存在しているのではなく、互いに入り混じって存在し、且つ決して離れることのない関係で結ばれて存在しているということになろうか。
3.精神と他者との関係性の重要性
前項においてお大師様の著述を元に精神と他者との関係性について考察したが、それはこの2つが現代社会においてこの上なく重要な要因であるからである。
現代人は科学技術の飛躍的な発展により物質的な豊かさを享受した。しかしその反面、都市的生活様式の浸透に伴い、今まで人として生きる規範を提供してきた共同体はおろか、家族までもがその機能を失わんとした結果、人々は精神的に貧困化し、それに伴い様々な社会現象が表面化してきたのである。他人と接することに恐怖心を覚え、なかなか就学、就労出来ないNEETの出現などはその典型例である。
お大師様が述べられたように、物質と精神は互いに入り混じって存在するのがその本来性であり、また、人の存在は初めに他人との関係ありき、というのがその本来性である。それ故物質面と個人主義の面ばかりが強調される現代社会では、このような歪んだ問題が生じてくるのも当然のことであろう。
この問題解決には、本来性の回復が絶対であり、精神面の回復と他人本位の生き方の浸透を進める以外に方法はあるまい。幸いなことにその動きは既に生じており、その一つこそ近年の四国遍路の賑わいなのではないか。
4.遍路体験への想いと期待
昨年遍路体験をした際、その行程の大半を苦行と感じつつも、札所に辿り付き、ローソクとお線香をお供えしたその一瞬、まさに一塵の秋風に吹かれたかのごとく清々しい気分を経験したことは何事にも代え難い貴重な体験であった。今思うとその一瞬こそ、普段私を覆っている無知や貪欲などいうものが消え去り、私が自分の本来性を取り戻した瞬間ではなかったかと思われる。また移動で困難を極めている最中に同行の志が同じ様に苦行しているの見て勇気づけられたり、地域の方から声援を受けたことは、これこそまさに私の存在が他者との切れない関係によって成り立っていることを否応なしに考えさせられる。
このように私にとって遍路とは、私の根底にあるお大師様信仰をより一層深めてくれると共に、まさに自分の本来性を回復させ、他人本位の生き方を手引きしてくれる苦行と言えようか。そしてここで得た貴重な体験は、独り占めするのではなく、初心どおり、NEET問題の解決に少なからず役立てたいと考えている。
何はともあれ、昨年のあの一瞬の清々しさを再び味えればそれだけで幸いである。
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昨日は十五夜、今日は十六夜。というわけでまおの教室は秋の花をテーマに、すすき、リンドウ、フジバカマなど秋色たっぷりのアレンジを作成しました。
昨日、今日とレッスンしてみて気付いたのは、意外にパラレルに作る生徒さんが多かったこと。主な主張の花材がすすきやリンドウとライン系統の花だったからかもしれませんが、まお的には茎をやや交差させたりして、ラウンドハフトインプレッション、つまりどこか片田舎の景色の一部分を切り取ってきたかのような作品をイメージしてたのですが…。
ま、いずれにせよ、この2日の夜の演出には相応しい作品が数多くできあがりました。
昨日、今日とレッスンしてみて気付いたのは、意外にパラレルに作る生徒さんが多かったこと。主な主張の花材がすすきやリンドウとライン系統の花だったからかもしれませんが、まお的には茎をやや交差させたりして、ラウンドハフトインプレッション、つまりどこか片田舎の景色の一部分を切り取ってきたかのような作品をイメージしてたのですが…。
ま、いずれにせよ、この2日の夜の演出には相応しい作品が数多くできあがりました。