へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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まおのポリシーは批判的にものを考えることです。もうかれこれ20年間一貫しています。
高校2年のことでした。生徒たちの学生食堂での食器の後片付けのマナーが悪いと食堂が怒りだして、クラス毎に意見をだして食堂に改善案を提出することになりました。
私たちはあれこれとりとめのないことを言って時間を費やしていたところ、突然担任が、「お前らアホか!食堂側のレイアウトとか、向こうに問題があるとは思わんのか!ある生徒から食堂側の改善を求めるという意見が出たっと言っておけ!以上終了!」と。
この時まおの目からウロコが落ちました。そしてクラス替えを前にしてその先生は、こういう言葉を皆に送ってくれました。
「お前らはもう少し批判的にものを考えるということに気を配りなさい。」
以来まおは一貫してこの先生の教えを守っています。大学時代のな社会学部ではその学問の性質から一層その考え方に磨きがかかりました。
ところが就活で頭をうちます。チームワークや上の命令を至上とする企業に、批判的な考えはマイナスになります。バブル期なのになかなか内定をもらえず、ようやく自由な風土の大手花屋さんに拾ってもらいました。
でもそこでも5年目で後輩を庇う立場になった時、会社の体制を批判して辞表をだして退職に追い込まれます。
それでもまおはその考えるを捨てませんでした。
その考えを教えてくれた先生は学校で一番生徒に厳しくかつ破天荒、体制に批判的な全てに型破りな先生でした。しかしいざという時にはツボを外さない、という先生の見本のような方だったのです。
丁度その先生のあの時と同じ年齢になった今、まおは生徒さんやアルバイト達に、オブラートに包みながらも、考え方を教えています。
ものごとは一方面からだけ考えるのではなく、色んな切口を用意して関わること、体制に流されないこと、よの中がより不安定になるにつれてこの考えを教えてくれた先生に今も感謝しています。
まおは何も無暗に教師を攻撃しているのではありません。今日blogに書いた先生のような人なら、大いに尊敬します。しかし残念ながら、そういう先生は中々いません。また体制の中にいると、こういう先生はやはり異端視されてしまいます。だから生徒や親はこういう先生が出会えばどんどん評価してあげないと。
高校2年のことでした。生徒たちの学生食堂での食器の後片付けのマナーが悪いと食堂が怒りだして、クラス毎に意見をだして食堂に改善案を提出することになりました。
私たちはあれこれとりとめのないことを言って時間を費やしていたところ、突然担任が、「お前らアホか!食堂側のレイアウトとか、向こうに問題があるとは思わんのか!ある生徒から食堂側の改善を求めるという意見が出たっと言っておけ!以上終了!」と。
この時まおの目からウロコが落ちました。そしてクラス替えを前にしてその先生は、こういう言葉を皆に送ってくれました。
「お前らはもう少し批判的にものを考えるということに気を配りなさい。」
以来まおは一貫してこの先生の教えを守っています。大学時代のな社会学部ではその学問の性質から一層その考え方に磨きがかかりました。
ところが就活で頭をうちます。チームワークや上の命令を至上とする企業に、批判的な考えはマイナスになります。バブル期なのになかなか内定をもらえず、ようやく自由な風土の大手花屋さんに拾ってもらいました。
でもそこでも5年目で後輩を庇う立場になった時、会社の体制を批判して辞表をだして退職に追い込まれます。
それでもまおはその考えるを捨てませんでした。
その考えを教えてくれた先生は学校で一番生徒に厳しくかつ破天荒、体制に批判的な全てに型破りな先生でした。しかしいざという時にはツボを外さない、という先生の見本のような方だったのです。
丁度その先生のあの時と同じ年齢になった今、まおは生徒さんやアルバイト達に、オブラートに包みながらも、考え方を教えています。
ものごとは一方面からだけ考えるのではなく、色んな切口を用意して関わること、体制に流されないこと、よの中がより不安定になるにつれてこの考えを教えてくれた先生に今も感謝しています。
まおは何も無暗に教師を攻撃しているのではありません。今日blogに書いた先生のような人なら、大いに尊敬します。しかし残念ながら、そういう先生は中々いません。また体制の中にいると、こういう先生はやはり異端視されてしまいます。だから生徒や親はこういう先生が出会えばどんどん評価してあげないと。
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