まおは今でも、なんでNEETに興味を持ったんだろうと絶えず自問します。学校には、その存在はゆくゆく国力の低下に結びつく、などとと理由を提出していますが。本当のところそうではありません。
一番の理由は、まおを支えてくれるメンバーの中に、1歩間違えば、明日にでも、そのカテゴリーに入ってしまう子達が大勢いたからです。
またまおは7年前から、BBSというボランティア活動もしています。そこでは万引きや、暴力沙汰で院送りになって戻って来た子の更正保護や、引きこもりの子の話し相手になったりもしています。
まおを支えてくれる子をNEETにしてはいけない、引きこもりの子をそのままNEETにしてはいけない、こういったまおのマクロ的な欲求が昂じて、大学院での専門教育に結びついた気がします。
ところが、いろいろ研究して行く内に、若い世代のNEETに対しては、色んな人達が手を差し伸べているものの、まお位の年齢になりますと、どうしようも無い人達として闇に葬られていることがわかってきました。救いの手も差し伸べられず、そして加齢からくる本人達のあきらめ観という2重のスパイラルにはまり込み、彼らは本当に社会的コストの烙印を押されたまま、本当に哀れな毎日を送っているようです。
そこで最近まおの興味も同世代の高齢NEETにシフトしてきました。
また彼らは大半は何も最初から無業者だったわけではありません。立派に社会人として働いていた人達だっているのです。ここでたびたび登場するK氏だって、元々はコンピュター会社で営業マンとして定職に就いていたのです。
彼ら全ての不幸は、社会との「間」の取り方をミスったからです。そうなんです。まお達は、人と人の「間」だけでなく、社会との「間」も上手くとらないと、社会に適合できず廃人行きになってしまいます。
では、社会との「間」ってなんなんでしょう。どうやって「間」をとるのでしょう。
これもおいおい考えてみることにしましょ!ぐーどあふたーの^^