へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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学校
はじめに
極めて個人的行為と思われる自殺を科学的にとらえたフランスの社会学者デュルケムは、自殺という現象を「個々の人間の心理から説明する」のではなく、「社会的な要因が人々を自殺に追い込む」という発想の元に、次のように自殺を類型化した。
①自己本位的自殺=社会や集団の統合が弱まり、個人が孤立した
時におきる自殺であり次のような特徴がある。
・配偶者を無くした人は未婚者より自殺率が高い。
・未婚者は既婚者より自殺率が高い。
・知識人・小説家は自殺率が高い。
・個人主義的傾向の強いプロテスタントの信者は、カトリック信者より自殺率が高い。
・個人主義的傾向の強いプロテスタントの信者は、カトリック信者より自殺率が高い。
・農村より都市の方が自殺率が高い。
・戦争時より平和時の方が自殺率が高い。
②集団本位的自殺=社会統合が強すぎる状況で起きる自殺で、未
開社会や軍人に見られる、宗教的な殉死。
③アノミー的自殺。アノミー(=欲望の無規制)という近代社会の特性(個人の欲求を規制する社会的規範が弛緩したことに起因)から生じる。
④宿命的自殺。欲望の規制が強すぎる為、著しい閉塞感に襲われておきる自殺。
この分類を自殺のモデルとして僧の「入水」を当てはめてみると、それは、宿命的自殺と言えようか。このように、「入水」に対して新しい切り口から知見を得た上で、この説話を留意点に従い鑑賞してみたい。
一.『宇治拾遺物語』について
鑑賞に入る事前準備として、この説話が収められている『宇治拾遺物語』について、簡単に概観しておきたい。
・ 作者は未詳。今のところ、文筆に巧みな人間通である中世初頭の貴族知識人が想像されるところである。
・ 成立年代。建暦二年から承久二年頃の成立とするのが一般的とされるが、諸説ある。
・ 題名の由来。二説あり、一つは『宇治大納言物語』という先行の物語集に埋もれた話を拾い集めて、それ以後の話も書き足したとする説。もう一つは、『宇治大納言物語』の原本を伝えている宇治大納言の子孫が、「侍従俊貞」という人物で、「侍従」の唐名は「拾遺」というため、『宇治の捨遺(侍従)の物語』とする説[i]。
・ 構成。十五巻、序文並びに百九十九の説話からなる。世俗説話である童話、笑い話、仏教説話である往生・転生譚、法験説話などが順不同に並べられていることから従来は「雑纂形態の説話集」とされてきたが、近年、これらの説話はばらばらではなく、『今昔物語』の様式とは異なるものの、ある種の関連性をもって繋がっているとする説が提唱されている。また、『今昔物語』や『古事段』と共通する話が多く、それらの説話集との関連が考えられている。
二.鑑賞
この説話を一言で述べると、若い聖の入水往生をめぐる哀歓劇であろう。すなわち、何らかの事情で入水往生することになったものの、大勢の野次馬が見守る中で生への執着心が現れ、野次馬の一人に助けられるも、石を投げつけられる。これだけでも十分滑稽であるが、最後に後日談が付属してあるところにこの説話の喜劇ぶりが伺える。この面白みこそが説話文学のもつ妙味であるが、この説話を鑑賞するにあたって、その鑑賞上のポイントとなるのは、
①主人公が聖であること。
②背景にある無常の世界。
③随所に現れる仏教的トーン。
であると思われる。よって以下この三点に注視しながら、本文を追う形で鑑賞を進めてみたい。
「桂川で入水往生しようとした聖がいて、祗陀林寺で百日間の懺法(『法華経』を読誦して、罪障を懺悔する法の実践)を行ったので、人々がそこへ群がった。三十余の細身の聖で、瞑想的なさまをしつつ時々阿弥陀仏を唱えている。」
冒頭から早くも先述の三点が現れる。まず登場するのが聖である。聖とは本来、古代後期から南都北嶺の大寺院が権門化するのに抗い、大寺院(教団)から離脱して現世の苦悩、貧困、病苦などからの救済を、仏教上の思想から説く尊い存在である。本文においても人びとが、聖と縁を結ぼうとして、「その目に見合わせんと集ひたる者ども、こち押し、あち押し、ひしめき合ひたり」、という様子から窺うことができよう。このような聖という概念から得られる経験的指標が、現世を越えた非日常性であり、『宇治捨遺』には、世俗的な名聞利益や権力を拒絶した叡実など本来の聖の姿を追った説話がいくつもみられる。反面、そうした聖の説話とは裏腹に、非常に人間味を帯びた、名ばかり聖の話も収められている。『発心集』にも同じような往生譚である「蓮花城入水の事」において、入水の際に生への執着が生まれ、入水はしたものの往生できずにいる蓮花城という聖が登場するが、このような生への執着は極めて聖らしくない。
無常の世の中において、現世での絶望感から来世での期待感を抱いて自殺往生する人は多かった。これこそ冒頭で述べた宿命的自殺以外の何ものでもなかろう。とりわけ遁世者にとっての閉塞感のそれは、俗人に比して大きかったと思われる。このような閉塞感から救われる場が浄土であり、そこに極楽往生を深く尊ぶ往生の思想が感じられる。また平安中期以降、往生伝が各種存在することから、この説話を鑑賞するにあたって、この往生思想が流行した時代背景を看過してはなるまい。
「往生が予告された日の朝、聖は雑役車に乗って何やら行を営んでいるようだが、人に目を合わせることもなく時々大きな息をついている。行く道に立ち並んでいる見物の者たちが、うちまきの米を聖に向かって撒き散らすと、聖は、苦痛を訴え、「その米を紙袋に入れて私のもといた寺に送ってくれ。」と訴える。下賎の者は、手をすって拝むが、少し分別のあるものは、「これから入水往生しようとするものが、もといた寺へやれ、目鼻に入って痛いなどと言うのはおかしいことだ。」、と不信を抱く。」
このあたりから聖の様子がおかしくなり、出だしは尊い往生譚であった気配が希薄になり始める。そうしてこの状況は次で更に悪くなる。
「川原の石よりも多くの人が集まるなか、桂川のほとりに着いた聖は時刻を尋ね、申の刻であることを知ると、「往生の時刻にはまだ早い。もう少し暮れるまで待て。」、という。待ちかねて、遠くからきた人の中には帰る人も現れ、川原は人少なげになったが、熱心な者は未だ残り、「往生には時刻を定めるであろうか、おかしなことだ。」、と言う僧もいる。」
ここにきていよいよ聖の生への執着が完全に露呈する。この部分はそれを不審に思うある僧とのコントラストが妙味である。
「まもなく聖は裸体になり西方に向かって入水しようとするが、船ばたの網に足がひっかかってしまう。弟子が外してやると身体はさかさまに沈んでいく。動転して水中でもがく聖を野次馬の一人が助けてやると、聖は「このご恩は極楽でお返し申し上げましょう。」と礼を言って入水を放棄し、陸の方へ走り上がって逃げ始める。これを見て残っていた者達が、撒きかけるように聖めがけて川原の石を投げつけたため、聖は頭を打ち割られてしまった。」
ここでは一連の入水騒動の顛末が書かれているが、注目すべき点が二つある。まずは仏教的トーンが最高に感じられる、「西にむかいて」という一文と、「このご恩は極楽にて申し候はん」という一文である。この二つの文から多くの読み手の脳裏に浮かぶのは、間違いなく西方の極楽浄土であろう。往生思想が広く流布していた時代背景が浮かぶと同時に、本説話が仏教説話であることをひしひしと感じる部分である。
今一つは、「川原の石を取りて、まきかくるように打つ」とう一文である。この「まきかくるように打つ」とあるのを見て、前半のうちまきの部分が想起されるのは容易なことである。聖がものを撒き散らされる点で前半と同じ状況ではあるが、方や入水する行為を尊敬して撒き散らされる米、方や入水を放棄して人びとの敬意を失ったために撒き散らされる川原の石。前半と後半で人びとの聖への異なる行為の対比が面白い。
聖が生に対する執着心を覚え、円滑な入水が出来なかった点では、先述した蓮花城の場合に似るが、蓮花城の場合は、極楽往生できず、その無念さを知人に冥土から伝えるという顛末に至るのに対し、こちらの聖は石を投げつけられるも一命は取り留めている。同じ往生譚でも、『発心集』では、暗い感じを覚えるのに対し、『宇治拾遺』では、滑稽な感じを覚える。特に、聖が野次馬に対して手をすり合わせて礼を言うところや、陸に走り上がる場面などは、非常に生に執着する人間臭さが表現されており、これが滑稽さを増長させる。いずれにせよ『発心集』、『宇治拾遺』それぞれの作品の特徴がはっきりとわかる両説話ではある。
さて先述したがこの説話はここでは終わらず、「この法師にやありけん~」と、後日譚が控えているのがこの作品の更にユーモラスなところである。特に命からがら逃げ出した聖が、入水の失敗をわるびれもせず、むしろしたたかに自分のことを、「先の入水の上人」と称しているところが白眉である。上人とは、もっぱら天台宗とそこから分派した浄土宗、時宗、日蓮宗などで使われる僧侶の敬称である。法然上人などはその代表格であるが、そのような名だたる僧侶を差し置いて、この聖が入水に失敗した自分を同じように上人と自称しているところに、この説話の滑稽さのエッセンスが現れているように思われる。
まとめ
先述したとおり、当時は往生極楽思想が深く尊ばれており、現世をはかなく思い、来世への期待感から断食・入水・焼身・縊死などによる様々な自殺往生が行われた。つまりそのような社会的要因が、人びとを自殺往生に導いたのである。こうした時代背景をもちつつしたためられたこの説話は、ある聖の滑稽な入水往生顛末記の形をとりつつも、当時の世相への辛辣な風刺を投げかけているような気がしないでもない。
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