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へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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 はじめに
 チベット密教史を考察する上で欠かすことができないのが、その流れの源流に位置するインド密教である。また中国を通じて伝わったわが国の密教も、別の流れでありながら遡っていくと同様のところへアクセスする。これは密教がインドで誕生、発展し、それから中国、日本へと伝わり、また他方チベットへ伝わりそれぞれ独特の展開がなされたことを暗示している。すなわち現存するチベット・日本、いずれの密教史を考察する上でも、インド密教史の理解が不可欠である。よって本レポートでは、このインド密教史を俯瞰することから設題に答える作業を始めたい。
 
一.インド密教史
インド密教史を考察する上で先ず踏まえなければならないのは、その歴史的な展開にしたがって区分けされた、初・中・後の三期に分けられた時代区分と、インド・チベット仏教における密教経典の分類法である[i]。先ず時代区分であるが、『大日経』と『金剛頂経』の成立した七世紀を基点として、この時期を中期、六世紀以前を初期、八世紀以降を後期と三区分するのが一般的である[ii]
次いで分類法であるが、日本密教では、弘法大師空海のもたらした『大日経』と『金剛頂経』を主体とする密教を純密、それ以前の密教を雑密と区分するように、インドにおいてもその性格によりいくつかの分類法がある。多くの研究者の間で流布しているのは、チベット仏教の学僧プトゥンがチベット大蔵経の編纂に際して用いた、所作・行・瑜伽・無上瑜伽、の四種の分類法である。これを先ほどの三つの時代区分に当てはめると、所作は初期に、行と瑜伽は中期に、そして無上瑜伽は後期に該当する[iii]
それはさておき、密教は仏教の、それも大乗仏教の一つの形態であり[iv]、修行者が救済される過程、すなわち部派仏教から、広く衆生を救済する過程、すなわち大乗仏教を経た後、宇宙的真理を内包するところまで発展した、いわば仏教の最終形態である。今回考察すべきチベット密教は、そのさらに最終の形態であり、インド後期密教を忠実に受け継ぐ。ところが逆に、その密教の起源をどこに求めるか、という命題を与えられた場合、それはいまだに決着していない[v]。とはいえ密教の考え方自体は、それが内包される仏教の発祥よりも古く、紀元前十二世紀から十三世紀にまでさかのぼり、バラモン教と切り放すことの出来ないインド神話中にその萌芽を読み取ることができる、と言ってもそれは過言ではあるまい。というのもこの「インド神話前期」ともいうべきこのバラモン教の隆盛期に誕生したのが、密教の根元たる概念であろうところの梵我一如思想であったからである。
この梵(ブラフマン)とは大宇宙を支配する原理のことで、一方の我(アートマン)とは個体を支配する原理をさす。よって梵我一如とは、「梵、すなわち宇宙と、我、すなわち人間は一つの如し」という意味である。つまり梵我一如思想とは、簡単に言うと、「宇宙と人間の本質は一つである」という考え方なのである。
この思想の根本理念をまとめると次のようになる。
「たった一つの真理があり、それ以外のこの世で見る諸々の現象はマーヤ―(幻影、幻覚)である、とするものである。人が真実の己れを悟れないのは無知であり、真の英知を有していないからである。離れて見える自己と絶対者ではあるが、両者の間に何らの区別はなく、両者は実は一体なのである。ただ無知によって両者は二元的に離れたように見える。」[vi]
 一方弘法大師空海は「弁顕密二教論」で次のごとく言われた。これを読み解いてみても、釈尊による仏教成立以前に密教の源流があることを悟り、また先述した梵我一如思想の根本理念とすこぶる近いことを述べられている様に思えるのも論者だけではあるまい。
「いわゆる秘密に
しばらく二義あり
一には衆生秘密
二には如来秘密なり
衆生は無妙妄想をもって
本性の真覚を覆蔵するが
ゆえに衆生の自秘という
応化の説法は機にかなって
薬をほどこす
言はむなしからざるがゆえに
ゆえに他受容身は内証を秘して
その境を説きたまわず
すなわち等覚も希夷し
十地も絶離せり
これを如来秘密と名づく」
 
さてそのバラモン教も、一旦衰退の時期を迎えることになる。それは仏陀の登場による原始仏教の興隆である。しかしながらバラモン教は、土着化することによってヴェーダにはない神々まで崇めるヒンドゥー教に姿を変え、やがてそれは民衆的な宗教となって、逆に後の大乗仏教にまで影響を与えるほどにまで成長した。その成長に大きく貢献したのが、後の密教にも大きな影響を与えるタントリズムである。それを証拠に、チベット密教がその系譜を引き継いだインド後期密教が、一般に仏教のタントリズムとか、タントラ仏教と呼ばれている[vii]
タントリズムとは、古代インド人の間で古くから持ちつづけられた民間信仰、星占、巫術、祭式、儀礼をはじめ、医学、薬学、天文学、錬金術などの科学、あるいは法律などの日常生活の規範をも包括した民衆の文化を総括した名称である[viii]。この民衆的且つ神秘的なタントリズムの思想の発展は、後述するインド中期密教と融合してチベット密教に引き継がれるインド後期密教の誕生を誘うことになる。
さて、タントリズムの最盛期は西暦五〇〇年頃であるが、それからしばらくして、中期密教が生まれてくる。それは、従来雑密であった初期密教が、大きな二つの流れによって新たな密教の成立に至ったこと、すなわち「大日経」系統と「金剛頂経」系統の流れの確立に他ならない。大日如来を本尊とする考え方など、今の日本にも残るこの中期密教の完成は、密教史中でも重要であろう。特に、「大日経」、「金剛頂経」といった正統な経典が整ったことは、従来雑密であった密教を、純密という仏教の中の完成された大きな形態へと導いた。時にそれは七~八世紀のことである。この中期密教が中国を経て、弘法大師空海によって日本にもたらされる。
この中期密教のうち、特に「金剛頂経」系統の流れとタントリズムが結びつき、インド後期密教へと受け継がれていく。このインド後期密教を受け入れたのが、事項で述べるチベットである。ただこの後期密教は、その発祥の地インドでは、ヒンズー教の更なる普及、またイスラム勢力の侵入等により、姿を消してしまった。
 
二.チベット密教
前項で述べたように発祥の地で姿を消したインド密教は、その最終形態である後期密教がチベットへと伝えられ、これが現在も受け継がれている。すなわちインド密教の最終形態が現在のチベットで展開されている訳である。それでは何故、本家インドで途絶えた密教がチベットで受容され、且つ現在まで展開されてきたのであろうか。
チベットにおける仏教は、同じ大乗仏教(もちろん細かくみれば、チベットは後の段階の大乗仏教であるが)である点で、日本の仏教と共通点が多いが、その受容の状況も、日本におけるそれと似た状況であった。
日本の場合、伝来した仏教は国家の守護と結びつけられて発展していくが、チベットにおいてもそれは同様であった。すなわち初めてチベット全土を統一し、チベットに初めて仏教を導入されたとされるソンツェンガムポ王は、インドやネパールから僧侶を招聘し、更に中国とネパールから王妃を娶り、ラサに二寺を建立したのを皮切りに各地に寺を建立した。当時チベットには魔物がいるとされ、これらの寺は魔物の上に建立されこの魔物を鎮圧した、という話があるが、この寺院による魔物鎮圧とは、仏教導入による国家統一にほかなるまい[ix]。また、日本に伝来した仏教は古来からの神道と結びついたが、チベットにおいても、伝来当初は抗争があったものの、最終的には土着のボン教と習合している。また仏教が国教化し、更にチベット密教が確立したのは八世紀のティソン・デツェン王の時代であるが、ティソン王は熱心な仏教徒であり、インド中期密教に詳しいインド僧、シャーンタラクシタを招聘した。こうして密教化がほぼ完了した仏教がインドから直接チベットに伝わったのである。このソンツェンガムポ王らによって導入された仏教を、チベット仏教史では前伝仏教と呼ぶが、その特徴は古密教と呼ばれる密教にあり、現在に伝わる密教とは異なり、インド初期から中期の密教の影響を強く受けている。すなわちここにはタントリズムとの融合の影響はほとんど見られない。ただソンツェンガムポ王によって開始された王朝は一旦九世紀に終わりを迎え、ランダルマの破仏と呼ばれるランダルマ王の弾圧によって仏教も一旦チベットの表舞台から姿を消す。
現在まで続くチベット密教の形が現れるのは十世紀に入ってからである。それはランダルマ王の息子から数えて四代目の王であるイェシェーウーが仏教界再興のために、インドからヴィクラマシーラ大学の学長アティーシャを招聘したことがきっかけであった。ここに復興した仏教を後伝仏教と呼び、これがインドから直接師を招いたことにより、当時インドにおいて展開していたインド後期密教の様相を強く持った密教を内包する。ただ後伝仏教は、前伝仏教が隆盛した時代とは異なり、チベット全土を支配する王室が存在しなかったため、四つの教団が分裂して存在することになった[x]
 
まとめ
 
 本レポートで与えられた命題は、チベット人によるインド密教の受容について論ぜよ、ということであった。またインド密教の展開、インド・チベットの密教の経典分類法等も留意せよ、ということであった。従ってまず、インド密教の時代区分、経典分類を先行研究に従い行ったが、本レポートでの独自色を出すべく、敢えて密教の起源がどこかということに挑戦し、インド神話の時代である、と仮定した。梵我一如思想があまりにも現在の密教の根底にある思想と酷似しているからである。それ以外の考察はほぼ、先行研究に従った。


[i] 武内孝善、奥山直司、佐藤永伸著、「密教史概説の手引き」、高野山大学通信教育室、二〇〇四年、八頁
[ii] 松長有慶編著、『インド後期密教〔上〕方便・父タントラの密教』、春秋社、二〇〇五年、三頁
[iii] 松長有慶編著、前掲著、四頁
[iv] 武内孝善、奥山直司、佐藤永伸著、前掲著、十五頁
[v]武内孝善、奥山直司、佐藤永伸著、前掲書、九頁
[vi] K・C・チャクラヴァルティ著、橋本芳契・橋本契訳、『古代インドの文化と文明』、東方出版、一九八二年、二五一、二五二頁。
[vii] 松長有慶編著、前掲著、五頁
[viii] 松長有慶編著、前掲著、六頁
[ix] 立川武蔵、頼富本宏編、『シリーズ密二 チベット密教』、春秋社、一九九九年、三十頁
[x]立川武蔵、頼富本宏編、前掲著、三一頁
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