へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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この世の中の全ての存在は宇宙であり、真理。すなわち真理はあらゆる存在、現象、はたらきの中に遍在している。→人は「我」に執着する自分本位の心によってそれをさえぎっている為それを中々悟ることができない。
我を離れた心→「菩提心」をもてば、存在、現象、作用のの本性が明らかになる、その境地に至ったとき、大の文字を加えて説明する。
※西洋哲学は人間と物質を分けてかんがえる。
密教=あらゆる存在は三つの側面から成り立つ。
体大=物質そのもの
相大=物質の姿・形
用大=物質のはたらき・作用
お花で説明すると・・・。
体大→花そのもの。相大→花の色や形。用大→花が咲くこと。
密教ではこの三大をもって真理の遍在する宇宙を説明。
1.六大体大→宇宙の体大(物質そのもの)は6つの本性から成り立つ。
先ずは5大。物質面での本性。胎蔵曼荼羅で示す「理」の世界。
①地(固体)→安定性、四角で黄色。不生不滅のもの。
②水(液体)→下降性、円で白。言語による分別を離れたもの。
③火→上昇性、三角で赤。あらゆる垢や塵に無染のもの。
④風(気体)→流動性、半月で紫。因果関係も離れ、拘束なきもの。
⑤空(空間)→無限性、宝珠形で青。虚空のように限定をうけないもの。
この5大だけでは宇宙は存在しません。固体や液体を認める力が必要→識大(精神面)
⑥識大→円で無色。金剛界曼荼羅で示す「智」の世界。
これら6大は、バラバラに存在しているのではなく(さまたげなく一如)、お互いに溶け合って混じり合って存在。
( 六大無碍(むげ)にして常に瑜伽なり)
よって六大を本性とする万物は、同等、同性のもの。
この宇宙を人格的に表現すると大日如来となり、花で現せば真華になります。
2.宇宙の形・姿すなわち四曼相大→宇宙の現象(形・姿)の根源的なものを示せば、4種の曼荼羅の現われ方、現し方に尽きる。またその4つは現し方の違いに過ぎず、その帰するところはひとつ。
※曼荼羅→マンダ(本質・真髄)+ラ(所有する)=真実を所有するもの=悟りの世界そのものを意味する言葉。悟りの世界を言葉で説明するのは困難なので図で説明したもの。
①大曼荼羅→宇宙の姿を仏の姿で表している(具体的な形で表現)。大日如来が中心となり、周りに諸仏を配置。(色相)胎蔵界(右)と金剛界(左)があります。(両部曼荼羅)
胎蔵界(右)→母体の生産力を現す。大日如来の心。「理」。胎内に宿った命を育み大きく育てる心を表現。
金剛界(左)→無限生産の男性原理。大日如来の頭脳。「智」
→金胎不二といって2つにして1つ、1つにして2つ。(昼と夜で1日、プラスとマイナスで磁石)。2つで1つの宇宙を表現。
②三昧耶曼荼羅→宇宙の姿を仏の持つ、蓮華、刀剣などを金剛の仏具(性格、徳をシンボル的に)で表現。仏の誓いや悟りを表現。(形相)
③法曼荼羅→仏像の代わりに仏それぞれの働きを象徴する真言(真実のを表す言葉)梵字(種子)で表現。種子曼荼羅とも。(名称)
④羯磨曼荼羅→今までの3つの曼荼羅は平面的だがこれは立体的に彫刻の仏像として表現。宇宙の動静と万物の運動(羯磨=動き)の全てを仏、菩薩の威儀事業として表現し実践の場を展開。(作用)
①から④に進むに連れて、具象から抽象へ。
このように曼荼羅は真理の遍在する1つの宇宙を4つの角度から表現。四曼不離。
(4種曼荼各々離れず)
仏の世界の現し方は、現われ方は4つあり、それらが表現の根本的なものであるが、どの相(姿)も現われ方、現し方が違うだけ。帰るところは1つ。
3.宇宙の働きの本性である三密用大。
人間には五体(身体の五つの部分。頭・首・胸・手・足)があり、この五体の働きを煎じ詰めれば3つに集約されます。
①身体の動き(身)=体を動かす。
②言葉(口)=声を発する。
③精神の働きとしての心(意)=心を働かせる。
人は身・口・意による行いが自己本位によるものなので=三業(業=はたらき)といいます。このはたらきいかんで罪を作り、我執の奴隷になる。
・身業=他をかえりみず自己の欲望充足のためにだけ動く。
・口業=他人を騙し自分も騙す。
・意業=人を憎み嫌う。
この自我による三業を行によって、大我(みんなが)に転じて、仏の智慧(本性を見極める智慧、すなわち識大で、これによって観察すれば、全ての本性は等しく、六大の内にあり、姿は様々でもそれは現われ方が異なるだけで、本来は一つ、不二であることがわかります。)でなされるものを三密といいます。
仏の心でなされる行いには分け隔てがなく、常に変らぬ慈しみ(大慈悲)を含んでなされることになります。それこそが宇宙の作用、働きの本質。
(三密加持すれば速疾に顕る)
自らの行い(有相)や心のありようも三密であれば、その相(姿)は顕かに仏である。
三業⇒慈しみのない働きをし働きを受ける。⇒こころ貧しくなる。
三密⇒慈しみのある働きをし働きを受ける。⇒こころ豊かになる。
我を離れた心→「菩提心」をもてば、存在、現象、作用のの本性が明らかになる、その境地に至ったとき、大の文字を加えて説明する。
※西洋哲学は人間と物質を分けてかんがえる。
密教=あらゆる存在は三つの側面から成り立つ。
体大=物質そのもの
相大=物質の姿・形
用大=物質のはたらき・作用
お花で説明すると・・・。
体大→花そのもの。相大→花の色や形。用大→花が咲くこと。
密教ではこの三大をもって真理の遍在する宇宙を説明。
1.六大体大→宇宙の体大(物質そのもの)は6つの本性から成り立つ。
先ずは5大。物質面での本性。胎蔵曼荼羅で示す「理」の世界。
①地(固体)→安定性、四角で黄色。不生不滅のもの。
②水(液体)→下降性、円で白。言語による分別を離れたもの。
③火→上昇性、三角で赤。あらゆる垢や塵に無染のもの。
④風(気体)→流動性、半月で紫。因果関係も離れ、拘束なきもの。
⑤空(空間)→無限性、宝珠形で青。虚空のように限定をうけないもの。
この5大だけでは宇宙は存在しません。固体や液体を認める力が必要→識大(精神面)
⑥識大→円で無色。金剛界曼荼羅で示す「智」の世界。
これら6大は、バラバラに存在しているのではなく(さまたげなく一如)、お互いに溶け合って混じり合って存在。
( 六大無碍(むげ)にして常に瑜伽なり)
よって六大を本性とする万物は、同等、同性のもの。
この宇宙を人格的に表現すると大日如来となり、花で現せば真華になります。
2.宇宙の形・姿すなわち四曼相大→宇宙の現象(形・姿)の根源的なものを示せば、4種の曼荼羅の現われ方、現し方に尽きる。またその4つは現し方の違いに過ぎず、その帰するところはひとつ。
※曼荼羅→マンダ(本質・真髄)+ラ(所有する)=真実を所有するもの=悟りの世界そのものを意味する言葉。悟りの世界を言葉で説明するのは困難なので図で説明したもの。
①大曼荼羅→宇宙の姿を仏の姿で表している(具体的な形で表現)。大日如来が中心となり、周りに諸仏を配置。(色相)胎蔵界(右)と金剛界(左)があります。(両部曼荼羅)
胎蔵界(右)→母体の生産力を現す。大日如来の心。「理」。胎内に宿った命を育み大きく育てる心を表現。
金剛界(左)→無限生産の男性原理。大日如来の頭脳。「智」
→金胎不二といって2つにして1つ、1つにして2つ。(昼と夜で1日、プラスとマイナスで磁石)。2つで1つの宇宙を表現。
②三昧耶曼荼羅→宇宙の姿を仏の持つ、蓮華、刀剣などを金剛の仏具(性格、徳をシンボル的に)で表現。仏の誓いや悟りを表現。(形相)
③法曼荼羅→仏像の代わりに仏それぞれの働きを象徴する真言(真実のを表す言葉)梵字(種子)で表現。種子曼荼羅とも。(名称)
④羯磨曼荼羅→今までの3つの曼荼羅は平面的だがこれは立体的に彫刻の仏像として表現。宇宙の動静と万物の運動(羯磨=動き)の全てを仏、菩薩の威儀事業として表現し実践の場を展開。(作用)
①から④に進むに連れて、具象から抽象へ。
このように曼荼羅は真理の遍在する1つの宇宙を4つの角度から表現。四曼不離。
(4種曼荼各々離れず)
仏の世界の現し方は、現われ方は4つあり、それらが表現の根本的なものであるが、どの相(姿)も現われ方、現し方が違うだけ。帰るところは1つ。
3.宇宙の働きの本性である三密用大。
人間には五体(身体の五つの部分。頭・首・胸・手・足)があり、この五体の働きを煎じ詰めれば3つに集約されます。
①身体の動き(身)=体を動かす。
②言葉(口)=声を発する。
③精神の働きとしての心(意)=心を働かせる。
人は身・口・意による行いが自己本位によるものなので=三業(業=はたらき)といいます。このはたらきいかんで罪を作り、我執の奴隷になる。
・身業=他をかえりみず自己の欲望充足のためにだけ動く。
・口業=他人を騙し自分も騙す。
・意業=人を憎み嫌う。
この自我による三業を行によって、大我(みんなが)に転じて、仏の智慧(本性を見極める智慧、すなわち識大で、これによって観察すれば、全ての本性は等しく、六大の内にあり、姿は様々でもそれは現われ方が異なるだけで、本来は一つ、不二であることがわかります。)でなされるものを三密といいます。
仏の心でなされる行いには分け隔てがなく、常に変らぬ慈しみ(大慈悲)を含んでなされることになります。それこそが宇宙の作用、働きの本質。
(三密加持すれば速疾に顕る)
自らの行い(有相)や心のありようも三密であれば、その相(姿)は顕かに仏である。
三業⇒慈しみのない働きをし働きを受ける。⇒こころ貧しくなる。
三密⇒慈しみのある働きをし働きを受ける。⇒こころ豊かになる。
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