へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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巡礼日誌
今月は予定を変えて、西行終焉の地と言われる弘川寺に行って参りました。
あべの橋から近鉄電車に乗り富田林へ。PLの花火大会を控えて既に随所に注意書きが見られました。ここでバスに乗り換えます。バスは市街地を出ると葛城・金剛の山波に向かって走ります。数人いた乗客が全員降りてまお一人になったころ、山の中へ入って行き、もうこれ以上奥へ入れないというところで終点に着き、いかにも山間の集落といった家並みの中を更に山の中へ入ります。山から流れてくるせせらぎの音だけが聞こえる静かな集落です。その集落も尽きた頃とても簡素な境内が現れました。お寺に着いたのです。
境内には本堂の他に護摩堂、そしてこれは後から知ったのですが、お寺の中興の祖としてお大師様の御影堂もありました。
境内から更に山を登ると、小さなお堂が現れました。西行堂です。江戸時代の建物だそうでコケむした屋根が時代を感じさせます。それから更に山道を登ると、視界が開け、そこに西行のお墓がありました。相対するかのように向かいには西行の墳墓を見い出した江戸時代の僧侶の墓がありました。
一切何もとらわれない人間を目指す者にとって格好の目標となるのが西行です。金、権力といった俗人がのどから手が出るほど欲しいものに背を向け、家族すら捨てて住みたいところに住み、自由に旅してまわり、自由に生きて望み通り花咲く春にこんな静かな山里で生涯を終えた生き方はとても羨ましい生き方ですから。
さて、本堂のある境内から一歩下がったところに本坊があり、美しい庭園がありました。そこの縁側に座って目を閉じると聞こえてくるのは蝉の鳴き声と木の葉の囁きだけです。しばし時間が止まっているのを体感しました。一切の雑念が消え失せ周りの自然に自分が完全に溶けこんでいるのがわかります。
他に参拝者は殆どおらず、こんな静かなお寺の参拝は初めてでした。すっかり気に入ったので季節を変えてまた参拝しようと思いました。
帰りは元来たコースをたどって家に帰りましたが、如何に普段余計な取り巻く存在に振り回されているか、それらが如何にとるにたりない下らないものであるか、痛い程学ぶことのできた巡礼でした。
あべの橋から近鉄電車に乗り富田林へ。PLの花火大会を控えて既に随所に注意書きが見られました。ここでバスに乗り換えます。バスは市街地を出ると葛城・金剛の山波に向かって走ります。数人いた乗客が全員降りてまお一人になったころ、山の中へ入って行き、もうこれ以上奥へ入れないというところで終点に着き、いかにも山間の集落といった家並みの中を更に山の中へ入ります。山から流れてくるせせらぎの音だけが聞こえる静かな集落です。その集落も尽きた頃とても簡素な境内が現れました。お寺に着いたのです。
境内には本堂の他に護摩堂、そしてこれは後から知ったのですが、お寺の中興の祖としてお大師様の御影堂もありました。
境内から更に山を登ると、小さなお堂が現れました。西行堂です。江戸時代の建物だそうでコケむした屋根が時代を感じさせます。それから更に山道を登ると、視界が開け、そこに西行のお墓がありました。相対するかのように向かいには西行の墳墓を見い出した江戸時代の僧侶の墓がありました。
一切何もとらわれない人間を目指す者にとって格好の目標となるのが西行です。金、権力といった俗人がのどから手が出るほど欲しいものに背を向け、家族すら捨てて住みたいところに住み、自由に旅してまわり、自由に生きて望み通り花咲く春にこんな静かな山里で生涯を終えた生き方はとても羨ましい生き方ですから。
さて、本堂のある境内から一歩下がったところに本坊があり、美しい庭園がありました。そこの縁側に座って目を閉じると聞こえてくるのは蝉の鳴き声と木の葉の囁きだけです。しばし時間が止まっているのを体感しました。一切の雑念が消え失せ周りの自然に自分が完全に溶けこんでいるのがわかります。
他に参拝者は殆どおらず、こんな静かなお寺の参拝は初めてでした。すっかり気に入ったので季節を変えてまた参拝しようと思いました。
帰りは元来たコースをたどって家に帰りましたが、如何に普段余計な取り巻く存在に振り回されているか、それらが如何にとるにたりない下らないものであるか、痛い程学ぶことのできた巡礼でした。
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