へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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遍路日誌
ついに最終日に突入。今朝も4時に目が覚めて、6時に朝風呂へ直行。誰もいない浴場を貸しきり、あっちの湯こっちの湯と入って完全にリフレッシュ。ただ上がった後、正しいお風呂入り方とかいう注意書きがはってあり、かけ湯は足からゆっくりとか書いてあったのでがっかりしました。
71番はひどい階段の上と聞いていたので、荷物の内基本になるザックを宿に預け、付属となる巡礼バックだけを持って登りました。確かに階段が続き、境内に入ってからも108段の階段とかがありましたが、基本のザックがないので非常に楽でした。
本堂は四ツ元某とかが中に入れてもらってた岩場のある険しい場所に建ってますが、なんとモノレールがあって役僧はそれに乗って下から上がってきて、お賽銭を数えてました。
大師堂は逆に寺務所と一緒になった建物の中にあり、正座してお大師様を参拝できました。
また荷物を一つにまとめて72番を目指します。気持のいい竹林の中、いかにもお遍路道らしいところを行きます。竹が風で揺れてカラカラと音をたてます。山を降りるとため池の周りを歩きます。とりが鳴いて、梅が咲き、日本の原風景が。反対側では讃岐平野を望んでそのむこうには瀬戸内海と瀬戸大橋が見えます。いかにも讃岐らしい光景です。
72番は曼荼羅寺といい、きらびやかなイメージを持ってまたしたが、実際には62番と同じくらいコンパクトなお寺でした。
ここからわずか600m、10分足らずで73番出釈迦寺です。少し丘を登ったところにあるので、眺めがいいです。更に山の上には奥の院がありますが、お大師様が飛び降りただけあって相当高いところに建物がみえるのでこのまま74番へ。但し西行庵と書かれた案内があったのでそっちへ行ってみると、これも大変坂を登るので途中で挫折。
73番では60番でうちを追い抜いた女性の方と交換。向こうも追い抜いたのに何故、という感じだったので、ズルしたことを話すと、それが正解、雲辺寺の道は雨でぐちゃぐちゃだった、と言ってられました。
74番への移動が、今回最後の遍路道らしい畦道をいきます。水仙に菜の花ももう見納めです。74番も小さなお寺で、ここで納経したことで長らく白紙だった75番迄の大半の部分が黒く埋まりました。
そして3年半ぶりの75番善通寺。あの時は般若心経すら読めなかったですが、今ではフルでしかもそらで言える迄になりました。とりあえず大師うどんでお昼にしてから巡拝。
さすがに広いです。西と東で境内が別れており、どちらかといえば東の本堂より西の御影堂、いわゆる大師堂のほうが立派。ただ東には五重塔や、ご神木もあり。
2巡目の納経は、朱印を重ねて押すだけで終わりです。これが何回も回った人だと真っ赤になるそうです。また、1巡する毎に納経帳を新しくする人もいるそうで、とりあえず今回は重ね印にしました。捺してくれたのは、奇しくも前回と同じ人でした。
これで今回のお遍路は終了。直ちに白衣をたたみ、笠もザックにくくり、鈴もはずし、俗世に戻します。境内に土産もの店があったのでいくつか買い求め、駅から多度津迄普通電車に乗り、ここから今回何回も世話になったしおかぜいしづちにお名残乗車でお四国を離れました。
さあ、これで40番~52番の南予と松山地区、それに今回パスした雲辺寺と67番、それに最後の大窪寺だけになりました。うまくいけば年内の満願も見えてきました。今回は土佐とは違ってほとんどが人跡のあるところを歩いたのと、天気には恵まれなかったものの、やはり春という季節からか、ものすごく気分よく終わることができました。土佐の時には当分遠慮したいと思いましたが、今回は時間さえもらえたら今すぐにでも戻りたい気分です。
71番はひどい階段の上と聞いていたので、荷物の内基本になるザックを宿に預け、付属となる巡礼バックだけを持って登りました。確かに階段が続き、境内に入ってからも108段の階段とかがありましたが、基本のザックがないので非常に楽でした。
本堂は四ツ元某とかが中に入れてもらってた岩場のある険しい場所に建ってますが、なんとモノレールがあって役僧はそれに乗って下から上がってきて、お賽銭を数えてました。
大師堂は逆に寺務所と一緒になった建物の中にあり、正座してお大師様を参拝できました。
また荷物を一つにまとめて72番を目指します。気持のいい竹林の中、いかにもお遍路道らしいところを行きます。竹が風で揺れてカラカラと音をたてます。山を降りるとため池の周りを歩きます。とりが鳴いて、梅が咲き、日本の原風景が。反対側では讃岐平野を望んでそのむこうには瀬戸内海と瀬戸大橋が見えます。いかにも讃岐らしい光景です。
72番は曼荼羅寺といい、きらびやかなイメージを持ってまたしたが、実際には62番と同じくらいコンパクトなお寺でした。
ここからわずか600m、10分足らずで73番出釈迦寺です。少し丘を登ったところにあるので、眺めがいいです。更に山の上には奥の院がありますが、お大師様が飛び降りただけあって相当高いところに建物がみえるのでこのまま74番へ。但し西行庵と書かれた案内があったのでそっちへ行ってみると、これも大変坂を登るので途中で挫折。
73番では60番でうちを追い抜いた女性の方と交換。向こうも追い抜いたのに何故、という感じだったので、ズルしたことを話すと、それが正解、雲辺寺の道は雨でぐちゃぐちゃだった、と言ってられました。
74番への移動が、今回最後の遍路道らしい畦道をいきます。水仙に菜の花ももう見納めです。74番も小さなお寺で、ここで納経したことで長らく白紙だった75番迄の大半の部分が黒く埋まりました。
そして3年半ぶりの75番善通寺。あの時は般若心経すら読めなかったですが、今ではフルでしかもそらで言える迄になりました。とりあえず大師うどんでお昼にしてから巡拝。
さすがに広いです。西と東で境内が別れており、どちらかといえば東の本堂より西の御影堂、いわゆる大師堂のほうが立派。ただ東には五重塔や、ご神木もあり。
2巡目の納経は、朱印を重ねて押すだけで終わりです。これが何回も回った人だと真っ赤になるそうです。また、1巡する毎に納経帳を新しくする人もいるそうで、とりあえず今回は重ね印にしました。捺してくれたのは、奇しくも前回と同じ人でした。
これで今回のお遍路は終了。直ちに白衣をたたみ、笠もザックにくくり、鈴もはずし、俗世に戻します。境内に土産もの店があったのでいくつか買い求め、駅から多度津迄普通電車に乗り、ここから今回何回も世話になったしおかぜいしづちにお名残乗車でお四国を離れました。
さあ、これで40番~52番の南予と松山地区、それに今回パスした雲辺寺と67番、それに最後の大窪寺だけになりました。うまくいけば年内の満願も見えてきました。今回は土佐とは違ってほとんどが人跡のあるところを歩いたのと、天気には恵まれなかったものの、やはり春という季節からか、ものすごく気分よく終わることができました。土佐の時には当分遠慮したいと思いましたが、今回は時間さえもらえたら今すぐにでも戻りたい気分です。
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