へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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遍路日誌
レッスンの合間を縫ってお遍路の準備を開始。
先ず先日実家から引き上げてきた去年使った法具や頭汰袋などを懐かしく思いながら整理、納経帳やローソク、お線香といった最重要携行品からチェック入れていきます。
今回はベースを張った去年と異なり通勤遍路ではないので宿の確保が必須なのでこれもシーズンで閉め出し食らわないよういくつかは確保。但し一番困難な12番焼山寺の宿坊が無理なことがわかり、明日もう一度計画を練ると同時に足りないものを買いに行こうと思います。
先ず先日実家から引き上げてきた去年使った法具や頭汰袋などを懐かしく思いながら整理、納経帳やローソク、お線香といった最重要携行品からチェック入れていきます。
今回はベースを張った去年と異なり通勤遍路ではないので宿の確保が必須なのでこれもシーズンで閉め出し食らわないよういくつかは確保。但し一番困難な12番焼山寺の宿坊が無理なことがわかり、明日もう一度計画を練ると同時に足りないものを買いに行こうと思います。
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遍路日誌
これが、今年のお遍路に行くための、遍路実習の事前レポートのテーマです。お遍路はまおをまおたらしめる上で重要なテーマですが、こう、あらためて聞かれると、クレヨンしんちゃんじゃないけど、これがたいそう難しい・・・。
まおはなんで、お遍路に興味を持ちのめり込んだんだろう。あんなしんどい、苦行以外の何物でもないことに・・・。
そこでルーツを辿っていくと、中ニの時の他愛のない、ある晩の夢に行き着きました。今でもはっきり覚えている夢。
ここではその子をR君と呼びます。まおはとりわけそのR君を意識したことはなかったのですが、突如その晩の夢に現われました。まおは夢の中でR君と出会い頭に自転車でぶつかったのです。それが縁で仲良くなったまお達は、修学旅行先の宮島で集団から抜け出して・・・。(その後はちょい恥ずかしくてかけません)
現実にはR君と仲良くなることもなく、宮島へ修学旅行へいくこともなかったのですが、そのときの夢のことがどうしても忘れられず、高2の夏に、ユースホステルに泊ることを条件に両親に許しを得たまおは単独で、広島、宮島、それから関門海峡へと西下しました。
これで旅の魅力に取り付かれたまおは、大学に入ると、水を得た魚のように全国行脚し、大阪にいるのはテストの時だけ、という有様で学生生活を終えました。
会社に入ってしばらくはなりを潜めていたものの、2年目に入って余力が生まれると、社会人の財力をもって、再び旅の舞台に戻り、現在に至っています。
さて、旅にでますと、どうしても名所旧跡というものに行き着きます。これはとりわけ寺院が多く、そういうところへ出入りしているうちに、自然信仰心が出てきます。そうすると旅+信仰心=お遍路という公式が成り立ち、旅するものとしていずれは歩き遍路を、という目標が生まれます。
そういうふうところへ、ついに去年お遍路にでましたが、いやはや、歩き遍路に旅の要素は全くありませんでした。単のしんどくてつらいだけです。山道などを登っていますと、なんで好き好んでこんなしんどいことをしているのだろうと思いました。
しかし札所ににもう這うようにしてたどり着き、ろうそくとお線香をお供えしたときに襲われる、あのえもいわれぬぞくぞく感!あれは、究極の快感です!まさに歩き通してきたものだけが許される感覚!
あの感覚が忘れられずまおは今年もお遍路に挑みます。
(てかこんな文章じゃレポートにならないよぉ・・・)
まおはなんで、お遍路に興味を持ちのめり込んだんだろう。あんなしんどい、苦行以外の何物でもないことに・・・。
そこでルーツを辿っていくと、中ニの時の他愛のない、ある晩の夢に行き着きました。今でもはっきり覚えている夢。
ここではその子をR君と呼びます。まおはとりわけそのR君を意識したことはなかったのですが、突如その晩の夢に現われました。まおは夢の中でR君と出会い頭に自転車でぶつかったのです。それが縁で仲良くなったまお達は、修学旅行先の宮島で集団から抜け出して・・・。(その後はちょい恥ずかしくてかけません)
現実にはR君と仲良くなることもなく、宮島へ修学旅行へいくこともなかったのですが、そのときの夢のことがどうしても忘れられず、高2の夏に、ユースホステルに泊ることを条件に両親に許しを得たまおは単独で、広島、宮島、それから関門海峡へと西下しました。
これで旅の魅力に取り付かれたまおは、大学に入ると、水を得た魚のように全国行脚し、大阪にいるのはテストの時だけ、という有様で学生生活を終えました。
会社に入ってしばらくはなりを潜めていたものの、2年目に入って余力が生まれると、社会人の財力をもって、再び旅の舞台に戻り、現在に至っています。
さて、旅にでますと、どうしても名所旧跡というものに行き着きます。これはとりわけ寺院が多く、そういうところへ出入りしているうちに、自然信仰心が出てきます。そうすると旅+信仰心=お遍路という公式が成り立ち、旅するものとしていずれは歩き遍路を、という目標が生まれます。
そういうふうところへ、ついに去年お遍路にでましたが、いやはや、歩き遍路に旅の要素は全くありませんでした。単のしんどくてつらいだけです。山道などを登っていますと、なんで好き好んでこんなしんどいことをしているのだろうと思いました。
しかし札所ににもう這うようにしてたどり着き、ろうそくとお線香をお供えしたときに襲われる、あのえもいわれぬぞくぞく感!あれは、究極の快感です!まさに歩き通してきたものだけが許される感覚!
あの感覚が忘れられずまおは今年もお遍路に挑みます。
(てかこんな文章じゃレポートにならないよぉ・・・)
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遍路日誌
前日 難波⇒和歌山港⇒徳島港⇒徳島市内泊
第1日目 1番~7番 7番付近泊
第2日目 8番~11番 11番付近泊
第3日目 12番 12番泊
第4日目 13番 13番泊
第5日目 14番~17番徳島市内泊
第6日目 18、19番⇒牟岐線⇒徳島⇒徳島港⇒和歌山港⇒難波
第1日目 1番~7番 7番付近泊
第2日目 8番~11番 11番付近泊
第3日目 12番 12番泊
第4日目 13番 13番泊
第5日目 14番~17番徳島市内泊
第6日目 18、19番⇒牟岐線⇒徳島⇒徳島港⇒和歌山港⇒難波
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3日目も晴天の内にスタートしました。先ず目指すのは屋島寺で、高松市内からもその不気味な台形の姿が見えています。瀬戸大橋道路と名づけられた道路は通勤通学タイムと重なり、まおと逆方向にみんな大急ぎで歩いたり走ったり。そんななか、屋島はどんどんその不気味な姿を近づけてきまして、山にぶち当たったところからまたも登山開始です。
この登山道は整備されていて昨日ほどきつくはないものの、昨日オーバーワークだったため、昨日よりもしんどい。地元の中高年層は、ここの登山を日課しているようで、次々と、そして楽々とまおを追い越して登って行きます。かなり麓でまおを追い越した女性が早くも、下りにかかるのをみて、もうそろそろだなと、思って上っていくと、無事に到着。中門も持つ、広いお寺でした。ここはかつて大学時代に友人とケーブルで登り、海にむかってせんべいを投げ合った記憶があるのでその記憶をたよりに茶店を何軒か遣り越すと、高松市街と瀬戸内海を一望できる展望所にでました。高松駅前のサンポートが相当遠くに見えます。毎日思うのですが、よくもまあ、これだけ歩けるものです。
引き続いて、今度は八栗山の中腹にある八栗寺を目指します。せっかく登った山をまたしても下りて、再び登らないといけません。遍路道の案内があったのでそこヘ向かうと、これまたひどいケモノ道が現れました。おまけに今日は、スズメバチの巣ありの文字が・・・。これも難儀な目に遭いながら無事に下山。こんどは今おりた屋島を背に、向かいにそびえる八栗山を目指します。この山は石の産地と見えて、見るも無残な山容を見せており、屋島とは別の意味で不気味。ここの登りにかかる途中で、古い屋敷を改造した有名なうどん屋さんをみつけ、ここで今日は昼食です。相当有名な店と見えて、平日でしたが、満員の盛況ぶり。ここで、お茶を接待してもらい、山のぼり再開です。ただし、ここの山は、現在もケーブルが動いており、今日夕方、知人宅へよる時間も考えて、ここはこの文明の利器の力を借りることに。
八栗寺は、同じ山でも向かいの屋島とは違って、昨日の白峰寺に近い山の中の寺の雰囲気が漂っていました。洞窟みたいなのもありましたし。そして下りは自力で21パーミルの急勾配を車道ということもあってスム-ズに下山し、知人宅が海沿いだと聞いていたので湾に沿って歩きましたが、途中で道がなくなるハプニングに。ここはひとつ、これこそお遍路の原点とばかりに、堤防を乗り越え、海に入りました。後で知人から聞いた話しですが、まおがこの海を通過した2時ごろは丁度引き潮にあたっており、それで浅瀬は潮が引いていたため、まおは無事に海を通過できたそうで・・・。もう一度堤防を乗り越え何事もなかったかのように歩きつづけ、無事、86番志度寺近くの知人宅に到着。
ここで一呼吸おいて、目指すははもう目と鼻の先の志度寺。ここは海洋信仰から札所になったお寺で、寺の裏からは、今日上り下りした屋島と八栗山がはるか向こうに並んでそびえているのが見えました。ここでそのはるかなな山を見ながら考えました。正直よくもまあ、歩き通したものと。
今日はここで終了し、後から追いかけてきた知人と晩御飯をして、高松に戻りました。
明日はいよいよ最終日です!
巡拝数 4ヵ寺
総歩行距離 17キロ
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2日目は初日より1時間遅くスタート。一旦電車で国分寺まで戻り、そこから本日の遍路開始です。昨日31キロ歩いて足の疲れが心配されましたが、さしたる異常も無く、先ずは駅から歩いて2,3分で80番国分寺に着き巡拝しました。
そこから次の白峰寺までが、中途に遍路転がしと呼ばれる急坂を含む、遍路まおにとって初の山道となります。先ずは、山に沿って麓を歩きますが、山に向かって左折する案内が出ておらず、近くにいた地元の人に尋ねて、先へ進みます。山に近づくに連れて、だんだん坂がきつくなり、これ以上進むと山とぶつかるというところで舗装道路は終了し、ケモノ道のような道になり、勾配は更にきつくなりました。随所にマムシに注意の掲示が現れ、1歩1歩注意して上がります。ここまで杖をつかずにきたまおも、さすがに杖の助けを借りねば登れなくなるほど道は急になり、また山は深くなりこれこそ名高い遍路転がしの坂道だと確信しました。ふと後を振りかえると、小高い山と貯め池がいくつも散在する讃岐平野が一望できました。こんなところまで登った以上、もはやどんなにしんどくとも戻るわけには行きません。あまりの急坂故の苦しさと、マムシへの恐怖感などが入れ混じった疲労感で、へとへとになったころ、上から人が3人下りて、「後、200メートル程だ、頑張れ!」と声をかけてくれました。その言葉に勇気づけられてさらに登ること数分、視界が開けて、白峰寺に向かう車道とぶつかりました。ここからお寺までは更に4キロあるそうで、さすがに舗装道路は楽だと、てくてく歩けます。これをしばらく行くと、道しるべがあり、このまま車道を行くと2.2キロ、分かれてまたケモノ道進むと1.5キロと書いてあります。まおは迷わず、短い距離を選択し、再び森の中を進みます。今度は下り道で、これも上り以上にしんどい。おまけにマムシに似た黒い小枝を踏んでしまい、思わず大声を上げたり、散々苦労した末、森が開け、建物が見えて来ました。白峰寺に着いたのです。
くたくたになりながらも、2箇所の巡拝だけはしっかりこなし、山内を辞そうとした時、崇徳上皇御陵の矢印が!そうか!白峰の名前でぴんとこなかったまおがとんでもない馬鹿でした。このお寺こそ、上田秋成の雨月物語、白峰で有名な白峰寺だったのです。ここで、西行が上皇の亡霊と対面したその場所だったのです。お話しはお話しとしても、西行が四国行きを思い立った背景には、崇徳上皇の墓参が大切な要因の一つであり、ここへ、はるばる西行がやってきたことには間違いありません。そんな西行も辿ったであろう山道をまおも自力で這いあがったことや、お話しのことやなんやかんやで感極まり、御陵を詣でて涙せずにいられないまおでありました。
落ち着いたころを見計らって納経所で朱印をもらい、山門を辞すと、これはまたすごい、仙人のような遍路と出会いました。22回通し打ちをしたと語るこの方は、昨日の職業遍路とは違い、かなり人間の出来た方で、マメの処理から、次の根来寺までの道のりなど色々と教えてもらいまして、さて82番根来寺へ。
ここの道は大半がけもの道で、道なき道を進む行程に、遍路の原点を垣間見ることが出来ました。もともと遍路というのは、こういった道なき道を分け進む行から出発しておりますので。とはいえ、在家のまおにとってこれはあまりにもヘビーな道です。足を踏み外し、滑落するような目にも遭いました。しかし、大半は木々の中を進むので、秋風が心地よく、まさに自然との対話をしながら進むところに、感激です。ありがたいことに、1キロごと位に休憩所があるので、それを使いながら進みます。
このケモノ道を何度もアップダウンする内に、車道にぶつかり、今度はこの道を進むと、寺まで1.2キロの所で茶店を見つけ、ここで食いはぐれると、次は3時頃まで飲まず食わずなので迷わず昼休憩。少し休むと、また歩く力が出てきます。どうやら歩き遍路のコツがわかってきたようで。
着いた!と喜んだ根来寺は山門から本堂まで何段もの階段があり・・・。また面白い本堂の作りで、薄暗く長い通路を通って本堂に向かいます。その本堂からとても上手い読経が聞こえてくるのでどんな遍路達が、思ったら、読経していたのはなんと本職(僧侶)の人達でした。さすがに迫力と威圧感がありました。
ここを出ると今度は、今回の遍路で最長距離の、13.6キロ先の83番一宮寺を目指します。先ずは朝から上った山を一旦下りるということから始めます。しばらくは車道を歩きますが、左手には瀬戸が一望でき、よくもまあこんなところまで上がったものと感動するも、逆にこれを下りると思うとぞっとします。だけどこの下り道は面白い。というのも、時折車道をそれて、まさに山を直滑降するケモノ道を行くからです。歩くというよりは転がり落ちるような格好です。殆ど人は歩かないのか、背丈まで草が茂っていたり、自生の吾亦紅を見て感激したり、とにかく下りるのは予想以上に早く、麓まで7キロを2時間を余裕で切る早さで下りきりました。ここから道しるべを見失った為、あっちで人に聞き、こっちで人に尋ねする有様。それでも皆親切に教えて下さいました。こうして親切心に慣れた頃、声をかけてきたおばあさんがいて、暫くその人と話して歩きましたが、途中から相手の話しが怪しくなり、要は異宗教の勧誘でありました。遍路装束のまおによくもまあ、全然異なる宗教の説法をするのには呆れましたが、このくらいでないと、宗教などというものは成り立たないのかも。
さっきの下りで少々オーバーペースだったのと、道を間違えて余計な距離を歩いたりした為に、勘を頼りに歩くまおの足に、疲労感が。それと、陽がかなり西に傾き今日のタイムリミットが迫り、焦りが出てきました。けど足が前に進まない。標識があれば、あと何キロとかもわかって安心感もあるのだけど、その標識もない有様で。それでも4時半前、ようやく一宮寺まで300メートルの標識を見つけ、まさに這うようにして寺に入りました。間に合ったのです。われながらよくやったものです。今日の予定はここでおしまい。さすがにここから宿まで5キロを歩くパワーはなく、近くに電車の駅を見つけここから電車で帰りました。とりあえず2日目も無事終了です。
本日の巡拝数 4ヵ寺
本日の歩行距離 26キロ(但し登山あり)