へんろ道に咲く花1輪・・・そんな花になりたい・・・
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1.はじめに
宗教法人とは、一言で言えば、宗教法人法に基づき「法人格」を与えられた宗教団体である。よって日本には様々な数多くの宗教団体が存在し活動しているものの、その団体すべてが宗教法人ではない。
ここでは、「宗教法人」と、「法人格を有しない宗教団体」の差異について述べるにあたって、先ずその差異の根拠となる法人格について考察したうえで設題に答えたい。
2.法律関係を結ぶ資格を有するもの
人間は社会で生きていくにあたって、他人との間でなんらかの法律関係を結ぶことが与えられる。それは例えば、財産の売買であったり、家の賃借関係などである。こういった権利義務関係・法律関係は、その主体たる人間を中心に展開し、その帰属点たりうる資格を権利能力と呼ぶ。この権利能力を有するものを権利主体とか人格と呼び、法律関係成立の基礎となる。しかしこの権利能力を有しているだけでは権利義務関係を結び、自由な意思に基づく法律行為は行えない。幼児など未成年は具体的権利義務関係に入る為の判断能力を欠いているとされ、権利能力があるだけでは具体的法律関係は結べない。すなわち、権利能力とともに行為能力が必要とされるのである。
さて、法律関係に入る資格をもつものとしては、生物学的意味だけでの人間すなわち自然人だけではない。この自然人以外で権利能力をもつものを、法的意味における人・人格として法人と言う。この法人は自然人が生まれると同時に権利能力を取得するのに比して、一定の目的によって組織された社団や財団に対して、法律が法人格を付与した時に誕生する。よって法律の規定に従って法人格を取得しない限り、社会に実在する団体であっても法律関係に入ることは不可能である。
以上、法律関係を結ぶことができる存在として、法人の存在を確認した。次項ではもう少し踏み込んで法人について考察したい。
3.法人の目的
我々をとりまく活動を見ると、人間が個人として活動している側面と、人間の集団や目的財産を基礎として組織された集団とが見られる。そしてこの集団は更にいくつかに分けられる。
一つは個人の集合体として構成されながら、構成員たる個人とは切り離されて、団体自らが完全に一個の権利主体として現われるもので、これを社団といい、具体例としては共同組合、労働組合、株式会社などがある。他には、学校設立、病院設立など、一定の目的に向けて寄付された目的財産を出発点として組織されたものであり、これを財団といい、具体例としては私立学校や病院などがある。
このように数多くの団体が社会の各方面で重要な役割を担っている。それは同時に多くの法律関係を結ぶ必要性があることを意味する。もしこれらの団体に法人格を付与しなかった場合、構成員全員1人1人と法律関係を結ばねばならず、それは非常に複雑で困難な作業であろう。よって団体に権利能力すなわち法人格を与え、法律関係を簡単にしている。こうして法人格を与えられた団体を法人と呼び、その団体は構成員の個人個人とは別に完全に独立した権利主体として法律行為が可能になる。
4.法人格取得のための法律
前項で述べたように、社団や財団は、法人格を取得することで権利能力を得、権利主体になり得るが、全ての団体が無条件で法人格を付与されるわけではない。
団体が法人格を取得するにあたっては、それぞれの法律の規定する一定の要件を満たしたうえで、法人設立の手続をしなければならない。そうして手続が適法になされた後、法律の定める範囲内で、その団体に対して法人格が付与され、法人として権利義務の主体となり得る。
このように団体が法人格を取得するためには、法律が重要となる。すなわち、私立学校法人を設立する際には私立学校法が、法人たる労働組合は労働組合法という法律によらなければならない。宗教団体の場合は宗教法人法によることになる。つまり、宗教団体が宗教法人になるには、宗教法人法第1条の目的の範囲内で同法の要件を満たすことが必要となる。
以上、宗教法人法の要件を満たしたうえで、規定に従って法人設立の手続をしなければ、宗教団体であっても宗教法人になることはできない。
5.まとめ
以上見てきたように、宗教団体の中でも、法律行為を行う為に、宗教法人法の要件を満たしたうえで、規定に従って法人設立の手続を行い、法人格を付与されたものが「宗教法人」であり、それ以外の宗教団体は、「法人格を有しない宗教団体」である。そしてその区別は法律上の法人格の有無を基準としている。
ただ、実体としては団体でありながら、法人格を取得していない団体を「実質的意義における法人」という場合がある。神社や寺院は、形式的法人となっていなくても「法人」と定義され、その経過や実体から見て、法人と同じ組織と運営が要求されるところに注意が必要である。
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毎年この季節になると愚かな家々を電飾がきらめきます。その明るさ、派手さは、年々地球温暖化の危険度や世の中の愚かさと正比例してひどくなっていきます。簡単に言えばそれだけ、無知で傲慢な人間が増えた計算になります。この愚かな輝きこそ、自己中の輝き以外のなにものでありません。
あれほど温暖化が進んで一刻の猶予もならない、と言う空の下、今夜も貪や痴と言う言葉で色どられた電飾が輝きます。
あれほど温暖化が進んで一刻の猶予もならない、と言う空の下、今夜も貪や痴と言う言葉で色どられた電飾が輝きます。
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1. はじめに
曼荼羅とは、本質をもつもの、すなわち言葉では説明できがたい宇宙の本質の現われ方を図に表現したものであるが、その根拠経典の違いにより2種類がある。
一つは『大日経』で説かれる大悲胎蔵曼荼羅であり、もう一方は『初会金剛頂経』で説かれる金剛界曼荼羅である。そこで、以下この2種類の曼荼羅の特徴を説明することにより、説題に答えたい。
2.『大日経』の大悲胎蔵曼荼羅の特色
大日経に説かれるマンダラを、正確には「大悲胎蔵生曼荼羅」という。このマンダラの大悲胎蔵生とは、大悲を行う諸尊をマンダラ中央の毘る遮那(大日)如来(胎蔵・子宮)から生み出すと意味である。省略して胎蔵マンダラと称するが、9世紀末頃からもう一方の「金剛界マンダラ」の影響を受け、「胎蔵界マンダラ」と呼ばれることもあるが、これは正しくない。また、表現方法によって三種類がある。すなわち「具縁品」に説かれる身(大)マンダラ、「転字輪曼荼羅行品」の語(法)マンダラ、「秘密曼荼羅品」の心(三昧耶)マンダラである。しかしながら一般にマンダラというと身マンダラを指す。
『大日経』のマンダラは三重マンダラであるが、解釈の違いにより、①善無畏系と、②ブッダグフヤ系に分けられる。
①善無畏系マンダラの特徴
このマンダラは、インド僧の善無畏が述べ一行の筆記による『大日経疏』の三句思想による。この三句思想には因位の立場と、果位の立場の、二種の解釈があるが、果位の立場から解釈しているのが善無畏系マンダラである。
善無畏系マンダラの最も特徴的なのは、第二重と第三重を、三句思想によって入れ替えているところである。これは第二重を、衆生救済の知恵と慈悲を持つ文殊菩薩の区画、第三重を、衆生救済という方便行を実践する釈迦牟尼仏の区画と解釈して第二重と第三重を入れ替えたのである。
次にその構成であるが、第一重は、中台八葉の九尊と、その東側・遍知(智)院のニ尊と、西側の不動・降三世との一三尊を仏部とし、中台北側の観自在などの7尊を蓮華部とし、南側の金剛蔵(持金剛=金剛手)などの六尊を金剛部とする三部構成になっている。次に第一重を外側から取り囲む第二重、更に外側に位置する第三重で構成されている。第三重にはヒンズー教の影響による弁財天などの庶民の仏が多数配されている。
②ブッダグフヤ系マンダラの特徴
8世紀の後半に活躍したインドの密教僧・ブッダグフヤは、『大日経』の記述に沿ってマンダラの諸尊を配したため、第二院と第三院が交替されることなく描かれているのが特徴である。空海が日本に請来したマンダラはこちらのほうであり、胎蔵図像と胎蔵旧図像、現図曼荼羅系の三種が存在する。
3.『初会金剛頂経』の金剛界曼荼羅の特色
金剛界マンダラが説かれている『金剛頂経』とは、18種からなるお経のグループ名であって、一般には不空訳の三巻本を指す。この不空訳の三巻本は、その最初に説かれた『初会金剛頂経』の冒頭部分、「金剛界品」の金剛界大マンダラを説く個所にあたり、不空によれば二十八種のマンダラが説かれるというが、基準となるのは、九つの部分からなる、金剛界九会マンダラである。
九会の内最も重要な個所は、中央の成身会の部分であり、ここを出発点に以下時計回りに渦巻状に進行する。また、胎蔵マンダラでもその代表的な思想は中央に集約されていたが、金剛界マンダラでもその五仏が象徴的な意味を持つ。
金剛界マンダラが胎蔵マンダラと異なる点に方位が挙げられる。これは胎蔵マンダラが、太陽の昇る東を上にしたのに対し、金剛界マンダラでは悟りの功徳を表した月が西から昇るのにちなみ、下を東としている点である。
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今日も販売士講習から一掴みです。
講師は人事面の講習の中で過労死をとりあげました。そして下のように言いました。
「過労死は何も働き過ぎに起因するのではない。例えば外国からの出稼ぎ労働者などはどれだけ過酷に働かされようとも死んだりはしない。彼らは賃金という目標があり、働けば働くほどそれをたくさん得ることが出来るのを知っているからである。日本人の場合、働いても報われない、また不本意に働いている、あるいは働かされている、こうした思いが根底にあるためそれがストレスとなり死に至るのだ。」
要は残業100時間以上してもそれに見合う対価が得られるなら過労死などあり得ない、というのです。
そういう講師は、年間4000時間、つまり法定労働時間の2倍働いていると言ってました。そうして服はイタリア製以外着ない、と雑談で言いました。なるほど、4000時間の労働に見合った報酬を得ているということなんでしょう。
生命力は精神に負うところが大きいと思います。最近は精神などと言うとはなからバカにするバカものがたくさんいますが、過労死などはそのいい例です。
まおなどはそこらの主婦パート以下の収入しかありませんし、働けば働く程、働いた割に手取り率が低くなりますが、しんどいと感じたことはありません。それだけ精神的に充実した仕事に就いているということなのでしょう。
講師は人事面の講習の中で過労死をとりあげました。そして下のように言いました。
「過労死は何も働き過ぎに起因するのではない。例えば外国からの出稼ぎ労働者などはどれだけ過酷に働かされようとも死んだりはしない。彼らは賃金という目標があり、働けば働くほどそれをたくさん得ることが出来るのを知っているからである。日本人の場合、働いても報われない、また不本意に働いている、あるいは働かされている、こうした思いが根底にあるためそれがストレスとなり死に至るのだ。」
要は残業100時間以上してもそれに見合う対価が得られるなら過労死などあり得ない、というのです。
そういう講師は、年間4000時間、つまり法定労働時間の2倍働いていると言ってました。そうして服はイタリア製以外着ない、と雑談で言いました。なるほど、4000時間の労働に見合った報酬を得ているということなんでしょう。
生命力は精神に負うところが大きいと思います。最近は精神などと言うとはなからバカにするバカものがたくさんいますが、過労死などはそのいい例です。
まおなどはそこらの主婦パート以下の収入しかありませんし、働けば働く程、働いた割に手取り率が低くなりますが、しんどいと感じたことはありません。それだけ精神的に充実した仕事に就いているということなのでしょう。
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簡単に言えば、設立の意義と本音が違うからです。例えば労働経済政策研究所のバヤイ、労働力の実態を調査して政策に活かすのが本意のはずですが、実際は、①厚生労働省の役人が退職後も税金から金をもらうため、②議員が金をもらう為にこれらの役人に援護をしてもらう為にこうした法人を擁護する、要は役人と議員が楽して大儲けするために作られているからです。そうした魂胆がこれら法人の第一義であるからです。またそういうところには東大などから正規の路線から外れた研究者もやってきます。
こうした人物たちが、無報酬で、ボランティアで働く集団であれば、いくらでも作ってもらえばいいです。ところが彼らには真面目に働いた人達がばか正直に納めた税金が流れます。ここがゆるせないのです。世の中には不正な役人の正反対に立つ真面目な人たちがたくさんいます。そういう人たちが納めた税金を彼が当然のように私財にする、どう切り込んでも許せる話ではありません。
こうした人物たちが、無報酬で、ボランティアで働く集団であれば、いくらでも作ってもらえばいいです。ところが彼らには真面目に働いた人達がばか正直に納めた税金が流れます。ここがゆるせないのです。世の中には不正な役人の正反対に立つ真面目な人たちがたくさんいます。そういう人たちが納めた税金を彼が当然のように私財にする、どう切り込んでも許せる話ではありません。